5月12日は「母の日」|「母の日」のせつない記憶と「母の日」のギフトに迷う

母の日
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こんにちは、かてぃあです。

今日、化粧品のオンラインショップで買い物をしようとしたら「母の日ギフトコーナー」ができていました。

もうじき母の日か。そろそろ、贈り物を考える頃ですね。

ところで、みなさんは、母の日は何を贈りますか?

実は、私、まともに母の日に贈り物をしたことがありません。どうせ贈るなら「本人の欲しいものを」と思っても、「別に欲しいものないわ」とか言われてしまうので、なんとなくそのまま贈らなくなっていました。

自分がこんな歳なのだから、親も当然高齢になります。なんだか親はいつまでも元気でいてくれるような気がしますがそれは錯覚でしかありません。親が元気でいるうちに、きちんと感謝を伝えたいものです。

なんにもない普通の日に突然感謝というのは照れくさいので、「母の日」を利用して感謝を伝えてみようかと思います。

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「母の日」のせつない記憶

実は私は「母の日」と聞くと切なくなります。

今年の母の日は5月12日ですが、今から28年前の母の日も今年と同じ5月12日でした。そして、その日は父が亡くなった日でした。

だから、「母の日」というと、父の死と結びついて悲しくなるのです。

父は亡くなる前、外国で仕事をしていました。赴任の際、父は母に「自分は大丈夫だから、近所に住む祖父母(父の両親)の面倒を見て欲しい」と言って単身赴任することを決めました。

赴任2年目に入ったころからでしょうか、父は体調不良を訴え始めます。胃が痛いとか腰が痛いとかいうのです。現地の病院にも行ったが胃潰瘍とかでもなく、整体にもいったが全く良くならず、日に日に痛みがひどくなるというのです。

当時はSkypeとかないし、週1回の国際電話で話すくらいだったので、父の表情や顔色もわかりません。

父は原因不明のまま症状が悪化し相当辛いようでした。すぐに日本に帰ってきて欲しいという私たちに、父は「株主総会が終わるまでは帰れない」と言いました。そして、株主総会が終わるとすぐに日本行きの飛行機に乗り帰国。父は成田空港に着くと、そのまま入院してしまいました。

病気がようやく分かりました。癌です。そして、そのときすでに進行してしまっており、余命3ヶ月と宣告されます。もう手の施しようがないので、家族がいつもそばにいられるようにと、東京の病院から家の近所の病院へ転院することになりました。

父を搬送する救急車の窓から外を見たら、桜の花びらが散って風に舞っていて、「父は、もう日本の桜を見ることもないのだ」と思ったら、涙がこみ上げてきました。結局父は転院して1ヶ月ぐらいで亡くなってしまったのです。

このとき、母は今の私より少し若かったくらいです。結婚以来専業主婦で、もう仕事をしていたのなんてはるか昔の話で、これからどうしようかと不安だったに違いありません。しかも、父が海外赴任する際面倒を見て欲しいと頼んだ父の両親(祖父母)は高齢で、父が亡くなった後、すっかり気落ちして、二人で暮らすのは心細いと言い出したのです。

そこからの母は本当にたくましかったと思います。母は二世帯住宅を建て、父方の祖父母を引き取って一緒に暮らすことになりました。

そして、祖父母は二人とも100歳近くまで生き、二人とも老衰で自宅で亡くなりました。母が最期まで面倒をみて、どちらも看取りました。

祖父母が亡くなると、ちょうど姉の子供が生まれたので、その二世帯住宅で姉の家族と母が暮らすことになり、私は家を出ました。

母は、父方の祖父母の世話が終わったと思ったら、今度は、仕事で忙しい姉に代わって姉の子供たちを「育てる」ことになります。

「もう毎日が大変で自分の時間がない」と母は文句を言っていましたが、本当は可愛い孫たちと一緒で幸せだったのだと思います。そんな孫たちももう大きくなり、母もようやく“家族の世話”から解放されることになります。

「母の日」に感謝をこめて

ところが、家族の世話からようやく解放されたと思ったら、昨年春、母は癌と診断されました。その前の年の秋ぐらいからずっと具合が悪かったのに、これまで人間ドックも受けたことがなく、結局癌と分かったときはすでにステージ4でした。

腫瘍ができている場所のせいで「いつ呼吸が止まるかわからない状態」らしく、「覚悟してください」と言われたと姉から聞いて、私はショックで泣いてしまいました。父の時のように、突然母を失うのではないかという恐怖に襲われたからです。

父が亡くなったとき、私は社会人になったばかりだったので、これから父と仕事のこと会社のことなど話せると思っていたのにそれはかないませんでした。ようやく社会人になって親孝行できるかな、なんて思っていたのにそれもかないませんでした。

その分母には親孝行しなくてはと思っていたのに「まだ全然していないよ!」と思ったら耐えがたい気持ちになってしまいました。

母は高齢にもかかわらず抗がん剤治療を選択し、副作用に苦しみながらも8クール行いました。その間、姉は介護休業し母のための徹底した食事療法を行っていました。そのおかげもあってか、母の癌は寛解(かんかい)します。

今では、抜けてしまった髪も眉毛もまつ毛も元通りで、顔色もよく、麻痺していた右手も普通に動かせており、癌と診断された昨年のことが嘘のようです。

私は、母の治療中は心配で毎週末会いに行っていましたが、元気になった途端、また行かなくなってしまいました。

今なんて仕事もしておらず、本当はもっと頻繁に会いに行けるのに、母が元気になった途端、また母はいつまでもずっといる、みたいな錯覚に陥ったのです。よく考えたら、本当は、あと何回会えるかもわからないのに。

親孝行は生きているうちにしないとですよ!

情けないことに、自分はこんな歳になっても未だに母に心配をかけています。

私が昨年突然会社を辞めてしまったときも、「結婚もしてなくて、そんな歳で会社辞めてちゃっていったいどうするの?」と言いたい思いでいっぱいだったと思います。

でも、私がずっと体調不良を訴えていたので、自分が癌の闘病中なのに、私の体調を心配して「そんなに具合悪いなら仕方ないね。まあ、なんとかなるでしょ」と理解してくれました。

私は母親になったことがないので、母の気持ちや思いなどわからないし、想像も難しいです。でも、今までいつも家族のことを思い、家族のために尽くしてくれていたことはわかるし、いつまでも情けない娘のことも信じて幸せを願ってくれています。

母親って改めてたくましくて偉大です!

そんな母に「母の日」を使って感謝を伝えたいと思います。

おわりに

今年の母の日は、父の命日と重なるので、もしかして母はお墓参りに一緒に行こうと言うかもしれません。そうしたら、そのとき、何かプレゼントを準備していこうかと考えています

でも、本当に何を贈ったら喜んでくれるのかな?

  • お花
  • スイーツ
  • 洋服
  • バッグ・アクセサリー
  • 美容器具・化粧品

うーん、なんだかどれもしっくりこない感じが・・・。

  • お花 ← 庭に咲いているからいらないと言われそう
  • スイーツ ← 食事管理をしている姉に怒られるかも!?
  • 洋服 ← この前某アパレルメーカーのファミリーセールに行ったからいらないと言われそう
  • バッグ・アクセサリー ← そんなものを身に付けて出かけるところもないのでいらないと言われそう
  • 美容器具・化粧品 ← すぐに面倒くさくなって使わないからいらないと言われそう

母はいつも「いらない」「欲しいものはない」と言うけれど、きっと何でも贈ったら喜んでくれるような気がします。本当は物じゃなくて感謝の気持ちを言葉で伝えたら十分なのかもしれないけれど、それってお互い照れくさいじゃないですか。

みなさんは「母の日」にどんな贈り物をするか決まりましたか?

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